オンライン留学をしているというと、何それ、とよく返されます。留学というと一般的には何か目的をもって実際に現地へ行くことを指しますから「オンライン留学」という言葉が奇妙に聞こえるのは当たり前で、やっている私自身さえも疑問を持つことが少なくありません。果たして私のやっていることは留学と言えるのか、何度も考えましたが、結局考えるだけ無駄なのだろうと思います。遠く離れた(そうでもないかも)大陸にいる先生たちやクラスメイトと会話したり同じ授業を受けることが出来ること自体が実はすごいことなのかもしれないと最近は思っています。パソコンとスマホを駆使して課題提出をしていると改めて現代技術のありがたみを思い知らされます。
確かに実際に現地に行く方がいいに決まっていますが、この環境下でできる限りのことをしようとすることが何より大事なのではないかと思います。なかなか経験できないことをしているからこそ、自分の力量が試されているとも感じました。ですからこの留学が終わった時に得たものが何かというのは自分自身にかかっていると強く感じました。おそらく現地に行くより、ずっと貪欲に中国語に触れようと思わなくてはならないわけですから。自分から物事に積極的に取り組む姿勢はきっと将来の糧になってくれると思います。
話は変わりますが、私が中国語を学び始めた動機は中国に関して全く知らなかったからです。もちろん、歴史などといった最低限の知識はありましたが、生活の様子や文化などに関して古い古いステレオタイプの固定観念にとどまっていました。近い国なのにどうして中国を知らないのだろうと思い、きちんと知りたいと思うようになりました。まさに未知の大陸と言ったところでしょうか。
まだまだ知らないことが多いのは勿論ですが、新しく知ること一つ一つがとても興味深く、こんなに日本と違うんだと思ったり、こんなに似てるんだと思ったり…。さながら未開の地を開拓しているような気持ちで学習しています。少し知識が増えると中国の奥の深さを思い知ります。同時に行ってみたい場所が増える一方ですが、今できることは勉強なので、いつか中国に行けるようになったときに思いっきり楽しめるように今のうちに「準備」をしておこうという心づもりでいます。訪中団に参加させていただいた時、自身の知識不足で「百聞は一見に如かず」の「一見」を活かしきれなかったと感じていましたので、当初の予定の「留学において現地で経験する」ことは今回お預けになってしまいましたが、次の「一見」のために準備してもし過ぎることはないと思っています。
留学を始める前はwechatも慣れませんでしたが、今となってはなんてことなく生活の一部になっています。中国語での授業も慣れてしまえば意外と大丈夫なもので、留学前の私と比べたら大きな変化かもしれませんが、できることが当たり前になってしまうとその変化に気づきにくいものです。少しは頑張った前期の自分をねぎらいつつ、残り後半をより一層実り多い時間をなるように自分と戦いながら頑張りたいと思います。(大塚萌々 北京語言大学 2019年)