中国留学へのターニングポイントは人それぞれ。
中国留学経験者へのインタビューを通して、様々な留学体験と帰国後の進路・就職等をご紹介します。
今回は、I・Yさんのインタビューです。
Iさんは中国人が通う学部でただ1人の日本人として学び、4年間で卒業を果たし、中国系企業でも勤務しました。なぜ中国人と同じ学部で学ぼうと思ったのか?ネイティブの中でどうやって授業についていったのか?などに迫ります。
プロフィール
高校卒業後、中国に留学。
2年間の語学留学の後、本科生として4年間を厦門(アモイ)大学で過ごす。
中国系企業等を経て、現在は日中青年の国際交流事業を運営する団体に勤務している。
NZ留学で「アジア」をもっと知るべきだと思った
―では、まず留学歴について教えてください。
高校卒業まで東京で、卒業後に中国に留学しました。合計6年間留学していたことになります。最初の2年間は語学留学で、その後厦門大学の本科(学部)に入って、通常の4年制の課程を卒業しました。
もともとは4年間ぐらいのつもりだったんですが、中途半端で終わりたくないという思いもあって、最終的に6年間の留学になったというかたちですね。
―最初、中国語はどの程度のレベルでしたか?
両親が中国に関わりがあるということもあって、家で中国語を聞く機会も多く、発音はまあまあできていたんですが、それ以外の部分はゼロでしたね。耳が良かったので、もともと英語も発音が良いとは言われていたんです。中国語を聞き分けることや、正しい発音をするということは苦にはならなかったんですが、中国語を「話す」というのは機会があまりなく、難しかったですね。
―なぜ高校卒業後中国に留学しようと思ったのでしょうか?
家族が中国に関わりがあったからというのが大きいですね。
高校生のときは英語を学んで欧米に行きたいという思いがあり、高校でニュージーランドに1年間語学留学をしたんです。そのときまでは、自分は「日本人」だというふうに思っていましたが、ニュージーランドに行ったことで、「アジア人」としてとらえられている、黄色人種としてとらえられていると感じたんです。それで、欧米よりも身近なアジアを、もっと知っていきたいと思いました。
ニュージーランドには、中国人や韓国人の留学生も多く、家族で移住している人などもいました。自分の知らない世界がこんなにあるんだと知って、もっと自分のルーツを知らないといけないと思ったんです。
―なるほど。それは大きな経験ですね。実際に、中国留学を決めた時期はいつ頃だったんでしょうか?
受験の時期に、日本の大学に進学するか、海外に留学するかで悩みました。両親からは日本の大学を勧められました。それで、日本の大学の受験結果も見て、検討の結果、中国に留学をすることにしました。
―中国の学校は9月が新年度ですよね。高校を卒業してから9月までの半年間は、どう過ごしましたか?
2008年3月に高校を卒業して、6月には中国へ向かったんです。留学自体は9月からだったんですが、飛行機の安いチケットがあったので早めに行きました。6月までは実家で、主にアルバイトと中国語の勉強をしていました。
―中国語はどんな勉強をしましたか?
高校時代までは、中国語はまったく勉強していなかったので、基礎ですね。ピンインや漢詩などの勉強していました。
―語学留学で行った大学は、どのように選んだんですか?
語学留学では、北京師範大学に1年、中国人民大学に1年行きました。北京師範大学を選んだ理由は、たまたま親戚が北京にいるのですが、その親戚の家が近かったからです。
北京師範大学は教育系の大学なので、中国語を教えることを専門としている講師の方も来てくれるのかなとも思って選びました。
その後、色々知っていく中で、中国人民大学の本科(学部)で学びたいという思いが出てきて、中国人民大学の予科(本科に入りたい留学生が入学準備をするところ)というところで1年学びました。
―でも、その後本科は厦門大学で卒業されていますよね。なぜ厦門大学に進学することにしたのでしょうか?
自分が学びたい学部を決めたのは中国に行ってからで、メディア系に進みたいと考えていました。
語学留学中に中国政府奨学金の存在を知って、それに応募する際に、入学を希望する大学を第3希望まで記載する必要があったんですね。それでメディア系がある大学を探したところ、厦門大学でもメディア系を学べるということがわかりました。もちろん第1希望は中国人民大学。でも、残りの2つの希望は南の方の大学を記載しました。2年間北京で過ごしていて、中国は広いと改めて感じたので、南の方の文化も体験してしてみたいと思ったんです。そうしたら、結局、第1希望は通らず、厦門大学への入学が決まりました。
―そうだったんですね。第1希望が通らず残念でしたね。それで厦門大学でメディア系の学部に?
はい、専攻はジャーナリズムとコミュニケーションというのがそれぞれあって、私はコミュニケーションの方を専攻しました。
厦門大学はキャンパスが2つあるんですけど、本科の1,2年生が学ぶエリアは厦門島ではないところにあったんです。最初、厦門島のキャンパスにいったらすごくきれいなキャンパスで、これからここで学ぶのかとわくわくしていたら、1年生はここじゃなくて船に乗って違うところに行くよと言われて(笑)。
中国の大学は広いところが多く、キャンパスが分かれていたり、それもかなり離れたところにあったりということが結構あります。
事前にキャンパスについて調べておくことは、中国ではとても大切なことだと学びました。
―それ、すごく中国留学あるあるですね(笑)。厦門大学には、ほかにどんな特徴がありましたか?
北京と厦門の違いは、外国人が少なかったことです。北京であれば留学生のコミュニティもありましたが、私の学部では日本人どころか外国人自体が私1人だけという環境でした。全学部でも本科生は私1人、留学生本科や交換留学生でも20~30人しか日本人はいなかったですね。
留学生ながら中国人と同じ講義を受けることの壁
―大きな大学なのに、日本人はぜんぜんいなかったんですね。
はい、なので、最初は日本語を話せないという孤独が強くなって、毎日泣いていました。親に相談しても、親は同じような経験をしているわけではないので、同じ目線では話せない。
中国人のクラスメイトは良くしてくれましたが、彼らの話す中国語が南の方言だったので、聞き取れないことも多くて。2年間学んできたという中国語に対する自信が崩れてしまいました。一時期は日本の大学に編入し直すかというぐらいまで悩んだんです。
―そこまで思いつめていたんですね。
というのも、1年生の前期で英語以外の単位をすべて落としてしまって。当時、留学生は私1人で、先生方が私を留学生だからと特別扱いしてくれるということもなかったので、中国人と同じようにレポートや試験を受ける、という環境だったんです。1年生が終わるまで、ずっとこんな状態でした。
でも、だんだん、先生方も外国人が1人だけ中国人に混ざっている状況というのがこれまでになかったから、対応をするとかしないとかいう段階にすらいないんじゃないかと気がついたんです。それで、自分でアピールしなきゃだめだ、と思い、先生に「私は留学生なのでテストの時に辞書を持って行って良いか」などの交渉をしに行くようになりました。
2年生からは、最初の授業で先生のところに行って、留学生である旨を伝えて交渉するようにしました。良い成績を取りたいという思いはありましたが、そもそも中国人ネイティブと同じ土俵では戦えないと思い直し、目標を「4年で卒業すること」に切り替えました。
周りを見ると、中国人と一緒に学ぶことが大変で、ドロップアウトしている外国人留学生も多かったんです。私がいたのは中国人が学ぶ正規の本科でしたが、留学生むけの「留学生本科」というものもあったので、中国人向けの講義にはついていけなくなってそちらに移る人も多かったです。
―それは大変な思いをされたんですね。そんな中でも、留学生本科に移らず4年での卒業を目指されていて、すごいです。ちなみに、授業以外で、中国での生活で大変だったことはありましたか?
生活様式が日本とは全く違ったことですかね。スーパーで買い物をするのでも全然違うので、びくびくしながら行っていました。
例えば、スーパーでは盗難防止のため、大きい鞄などの荷物を預けないといけなくて、貴重品と携帯だけは持って入れたんです。小さいバッグなら持ち込めますが、中を見せてからじゃないと入れてもらえなかった。野菜やお菓子は量り売りで、ほしいぶんだけをとって担当の店員さんに渡すと、量って値段シールをつけてくれるシステム。それを買おうと思って並んでいても、他の人に横入りされてしまって、いつまで経っても自分の番が来ないということがよくありました。日本人だとマナー違反と思ってしまいますが、並ばないというのは中国の習慣なので、それに慣れたという点では図々しくなったかなと思います(笑)。
―言葉で困ったことはありましたか?
中国語が通じないことよりも、話が合わないということが一番大変でしたね。
日本の20歳前後の女性は、いわゆる恋バナをしておけば間違いがないと思っていて(笑)、そういう話が世界の共通言語だと思っていたんです。でも、中国人と話をしても、中国は厳しく恋愛を禁止されている学校がほとんどなので、高校までで恋愛をしたことがない人がほとんど。恋愛は大人になってからすることだよと返されることが多かったんです。
中国男性からは、経済や土地の価格などの話、中国女性からはアニメなどの話をされたんですが、いずれもあまり詳しくなかったので、話題づくりには本当に困りました。
―話題が合わないの、つらいですね。では、中国の人たちの考え方を知るためにはどうしたんですか?
北京師範大学に留学していた最初の1年は親戚の家にホームステイしていたので、その間に2つ上の親戚の姉からいろいろ教えてもらいました。日本と中国で興味のあること、流行になっていることがぜんぜん違います。
女性でもテンセントのオンラインゲームをやっていたのに驚いたし、化粧に興味がない人がほとんどで、その点も驚きました。
―寮生活はどうでしたか?
中国人民大学のルームメイトは韓国人で、厦門大学はインドネシア人でした。
二人とも良い人たちだったので、いざこざみたいなことはなかったですね。生活リズムも問題なかったです。人民大の韓国人は本科生で、授業が忙しく、遊ぶときは思い切り遊ぶというバランスの取れている人でした。
インドネシア人は医学部だったので、その日の講義の内容、解剖の話などを聞かせてくれました。どういったルームメイトにあたるかというのは、こればかりは運だと思います。
厦門大学のお風呂は中国人学生と同じシステムで、寮の中とか部屋の中ではなく、別の建物にありました。留学生の中には女性でもお風呂は数か月に1回で香水をつけるだけという国の人もいて、文化の違いを身をもって経験しましたね。
次回は卒業、中国での就職活動や中国系企業での勤務経験についてお伺いします。
この続きは「日本人1人で中国人本科に留学!中国系企業に勤務するまで(2/2)」をご覧ください!