この一年間を振り返ってみると、いろいろなことがあったなと思う。
前期は留学開始早々ビザの関係でトラブルに見舞われたり、70周年の国慶節の雰囲気を現地で体感したり、承徳に一人旅をしたり、友人と天津に行ったり、北京を散策したり、北京ダックを食べたり、北京の秋が一瞬しかないのに驚いたり、部屋にゴキブリが大量に住みついてしまったり・・・今となっては全てが懐かしく感じられる。
そして冬休みに日本で予定があったため一時帰国しただけのはずが、予期せぬコロナウイルスの蔓延により北京に戻ることすらできなくなってしまい、予定していた南京などへの旅も実行不可能になってしまった。
後期のオンライン授業が開始してすぐは、もしかしたら後半だけでも北京に戻れるのではないか、などと淡い期待を抱いていたがそれもつかの間、期待もむなしくコロナが全世界へと広がり、後期の授業は全てオンラインになってしまった。クラスメイトやルームメイトとの何気ない会話や、中国人の友人と遊んだり、学食を食べたり、北京の街をぶらぶらしたりといった日々がもう戻ってこないのかと思うと、とても寂しい気持ちになったのを覚えている。
また、オンライン授業は日本でひたすら自室にこもってパソコンと向き合う必要があったため、モチベーションを保つのが難しい時期も正直あった。そういった中で先生方が(当然学生よりも大変だったと思いますが)私たちの不安な気持ちを和らげようと積極的にコミュニケーションをとってくださったり、大学内の写真を送ってくださったりしたのがとてもありがたかった。
そして中国語力の向上だけでなく、中国のいいところも悪いところも含め、理解を深められた1年になったと感じる。
たとえば、農村部を旅した際には、北京や上海のような高層ビルが建ち並ぶ大都市とは全く異なった光景を目の当たりにした。牛が荷車を引いていたり、付近に住んでいる人たちが共用している地面に穴を開けただけのトイレを発見したり、今にも倒壊しそうな古い建物に人が住んでいたり…まるでタイムスリップしたかのような感覚になった。中国は変化がとても激しいので、こうした光景は今のうちに見ておかないとすぐになくなってしまうだろう。
たくさん旅行に行き、古い建造物や田舎の風景をもっと目に焼き付けておきたかったが、今回のコロナ騒動によってそれすらも難しくなってしまったのが残念だ。そして現在の中国を理解するためには、高層ビルが立ち並び最先端のテクノロジーをもつ都市がある一方で、このような昔の姿を留めたままの地域や、そこに住んでいる人もたくさんいることを理解しておかなければならない、と強く感じた。
また生活をしている中で、セキュリティの厳しさ、ビザ関係など政府関係の手続きに異常に時間がかかること、外国人が使おうとするとやたらと認証が難しいアプリが多いこと、トイレが……(笑)だったりと、時には中国が嫌になりそうな時もあったが、食堂の気さくな阿姨や、開放的でおおらかな中国人たちと接するにつけ、やっぱり私は中国が嫌いになれないな、と感じた。留学を終えた今、私の中での中国像を一言で表すとすると「憎めない国」という言葉がふさわしいかなと思う。
大学の第二外国語でも中国語を選択しておらず、中国にこれといって興味もなかった私が中国について興味を持ちはじめたのは、卒業旅行で上海・青島・済南を訪れたことがきっかけだ。実際に現地を訪れてみたことで、メディアでは報道されないような中国のスケールの大きさや熱気に圧倒され、中国人のいい意味でテキトーで、細かいことにとらわれないところが大好きになった。しかし当時は、自分が将来中国で留学生活が送れるなんて想像もしていなかった。大学卒業後は3年間ほど地元で普通の会社員として働いており、その間はたまに厦门などに旅行に行く程度だった。
そのような経歴の私だが、今後は別の奨学金を得て、中国語と専門分野の勉強をし、中国の大学院を目指す予定だ(と言ってもコロナの影響でそれさえもどうなるか分からないような状況ですが・・・)
結局、中国にいた期間はビザの期間の半分に満たないという、留学当初は予想もしなかった結果になってしまったが、中国語力を高め、中国についての理解を深めることができたこの1年は、私のこれからの人生を左右するような重要な1年になったと思う。
またこの留学があったからこそ、今後の人生も中国と関わりつづけていきたいと強く思えるようになった。このような貴重な機会を与えてくださった日中友好協会のみなさまに心より感謝いたします。(横山佳代 北京語言大学 2019年)