ハルビン氷祭りは閉まる時間が早いので注意

わたしは中国に留学してから、同い年の中国人の友達が増えました。出会いの場は様々ですが、日本の大学で知り合った中国人の友達といることが多いです。友達はハルビン出身なので、ハルビンの話を日ごろから聞いていました。さらに、高校で同じ中国語コースに所属していた中国と日本のハーフの友達の故郷も共通してハルビンだったため、ハルビンに興味を持っていました。そして、期末テストが終わった日にハルビン行きの飛行機のチケットを購入し、清華大学の友達と現地で待ち合わせをして二人で旅行をしました。ハルビンはかつて、ロシアや日本の占領下であったため、ロシア風の建築や日本が占領した跡地などが残っていました。ハルビンの空港に着いてから、まず中央大街に行き、友達と合流しました。通りにある、ハルビンで一番知名度の高い、東北料理のお店に行きました。锅包肉がすごくおいしかったです。中央大街には、夜市のような場所もあるので食べ歩きをしました。そして、私たちが、一番楽しみにしていた「ハルビン氷祭り」(“哈尔滨冰雪大世界”)は、入場口が閉まる時間が早かったため、中に入ることができませんでした。

しかし、柵の外からライトアップされた綺麗な氷を見ることができました。入場料が少し高かったため、外から少し眺められただけで満足でした。この時の気温は、零下20度でした。今回は、突然の旅行であったために時間があまりなく、翌日は朝早く起床し観光を始めました。高铁の出発が13時だったのでそれまでに、雪の彫刻、ロシアの民家、聖ソフィア大聖堂などを回りました。時間はかなりタイトでしたが、多くの場所をめぐることができ充実したハルビン旅行になりました。大連では、高校の友達に会いました。一日しか滞在できませんでしたが、4か所ほど観光地を回ることができました。

大連は以前関東州であったため、当時の日本が占領していた面影を感じられました。当時の日本が建設した建物は、今現在も残っており、銀行、ホテルなどとして利用されていました。街並みは、少し今の横浜似ているなと感じました。さらに、現在の大連駅(大连火车站)は上野駅の設計者と同じであることから外見はほぼ同じであり、驚きました。さらに、関東軍が作った路面電車もいまだに動いていました。大連には半日しか滞在できなかったので、すべての観光スポットは回り切れませんでした。旅順は3,4年前までは外国人の侵入を禁止していたことのある場所でしたが、今回は時間が足りずに観光することはできませんでした。しかし、大連の観光地の多くは日本と関係のあるものだったので、歴史を肌で感じることができよかったと感じました。(西嶋ゆい 清華大学 2019年)

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Ryohei ISHIZUKA京都府日中友好協会 青年委員会青年委員長
日本の最大手通信キャリアに勤務の後、中国系通信キャリアの日本法人に転職。現在は企業向けのグローバル人材育成を支援する会社でコンサルタントとして勤務。 また、若者のキャリア構築に関心があり、勉強している認知科学を応用したコーチング理論を勉強しており、これまで延べ100名以上のキャリアサポートを行なった実績があります。 内閣府主催「日本・中国青年親善交流」事業における2020~2023年研修講師を担当。2024年には日本・中国青年親善交流事業に参加。