今中国をはじめとした多くの国で春節が祝われているが私はその期間中、中国人の友人の実家にお邪魔させていただき、現地の春節を体感するという貴重な機会をいただけたので、そのことを中心に今回のテーマについて書こうと思う。
まず、その友人とはおよそ2年前、大学の学部主催の上海研修に参加した時に出会った。私はバドミントンを通して彼と仲良くなり、今回実家に招いてもらった。彼の実家は江西省の山間部に位置し、複数の村からなる非常に自然豊かな農村である。
春節というと中国人からすれば一年で一番重要で盛大な行事であることは知っていたので、少し申し訳ないという気持ちを抱きつつ彼の家に伺った。そこでよく言われた言葉が「不要客气」、「随便」、つまり遠慮しなくていい、好きにしていいという言葉だった。確かにはじめは自分でも遠慮していた自覚はあったので振る舞いに気をつけたのだが、それでも同じように言われるのである。私としては、人の家にお邪魔している感覚は抜けないものの、そこまで遠慮していた訳ではないのだが彼らはそれすらも望んでいなかったようで、私を本当の家族のように扱い、私がそのように振る舞う事を望んでいた。
春節の初一の日には友人の地元の旧友たちとあう機会があったのだが、みんなで各実家をまわり、ご飯を食べたり、談笑したり、トランプで遊んだりした。私から見るとまるで一つの兄弟、両親方も含めると確かに一つの家族のように振舞っていた。自由にご飯をとったり、飲んだり、話したりと、私の今までの経験では考えにくいような状況がそこにはあった。が、困惑というよりも、一種の楽しさを感じた。
今回の春節はコロナウイルスによる影響により、友人の故郷の人々は外出を控えていたそうで、いつもと違う様子ではあったそうだが、この経験を通して彼らの人と人との距離を肌で感じ、楽しむことができたというのは非常に有意義であった。(北京大学 中津大介 2019年)