中国人との交流は、私が浙江大学に来てからずっと、満足にできていないと感じていた点です。中国に来たからといって、自然に沢山の中国人の友達ができるわけではないのだと感じました。ですが最近は、少しずつ中国人の友達が増えてきて、彼らの生活に入らせてもらっています。
中国人と知り合う上でかなり大きな鍵となっているのが、紹介制度だと思います。日本で生活していると、「紹介」といえば恋人に関してくらいしか使われないイメージですが、中国では幅広く友達やアルバイトなどを紹介する文化があります。こちらに来てからできた中国人の友達のほとんどが紹介を通して知り合いました。特にお世話になっている二家族を紹介したいと思います。
一人目は、もともとルームメイトが博物館で知り合い、その後二人が一緒にご飯に行く際にルームメイトが私も誘ってくれ、知り合った姐姐(お姉さん)です。知り合った当初、ほとんど中国語の喋れない私たちにも嫌な顔一つせず、お互い翻訳アプリを懸命に使って意思疎通をしました。彼女の友達が住む農村や、彼女の家にもお邪魔させてもらいました。また、旦那さんもとても親切で、お宅に行ったあとは毎回駅まで車で送ってくれます。「谢谢」というと必ずといっていいほど「不用谢」と答える中国人の親切さには脱帽です。
もう一人、一学期で帰国してしまった日本人の友人が紹介してくれた中国人の友人には、つい最近とてもお世話になりました。春節の数日前、彼女と2回目に遊んだ時、お家にお邪魔しました。その時、その子とお母さんが「今、寮に1人で住んでいるのは寂しいだろうし、肺炎も危ないからうちに来なさいよ」と言ってくれました。当然、最初は冗談で言っているのかと思いました。けれども、2人とも「本当に来ていいよ」と言ってくれるので、図々しくもその日の夜から居候させてもらいました。
その家庭はお父さんお母さん娘一人の三人家族。お父さんとお母さんは、外国人と関わるのは初めてとのことで、日本に対しても興味を持って下さり沢山質問してくれました。聞き取れないことも度々あったのですが、友人は日本語が堪能なので通訳して助けてくれました。中国人が普段から食べている家庭料理は、学食で食べる食事と全く違います。学食や外で食べる料理は脂っこいことが多いのですが、家庭料理は全くそのようなことはありません。毎回、お父さんお母さんが代わる代わるご飯を作ってくれ、感謝しかありません。ちょうど滞在し始めたころ、急に新型肺炎の状況が悪くなり、それまであまり気にしていなかった中国国内にも緊張が走りました。
ここで、杭州の一留学生から見た新型肺炎の状況について、備忘録も兼ねて書いてみたいと思います。
私も正直に言うと、最初は「原因不明の肺炎」という話題に全く危機感を持っていませんでした。微信の記録を見ると、1/5に母が最初に肺炎について日本で記事が挙がっていると心配する内容を送っています。けれどその時は「またすぐ心配するんだから、」と取り合わずに、「その肺炎は人から人に移らないんだよ」と言っていました。会話記録を見る限り、1/17の時点でもまだ状況を注視していなかったようです。
けれどもそれが急に変わったのが、22日。急に死亡者数が増え、朋友圈にも新型肺炎関連のニュースが溢れ、緊急事態なのだということがはっきりとわかりました。私は普段、どちらかといえば落ち着いているほうで、以前学内で食中毒があった時も、平静を保って見ていたと思います。けれども、この時はそうはいきませんでした。毎朝、肺炎についての情報収集する中で、楽観論、悲観論色々と目にします。武漢が封鎖されるらしい。本当は武漢の街には数万の患者がいるようだ、等々恐ろしいシナリオを沢山読みました。色々な立場の人が異なることを言っていて、正直「落ち着いて状況を見極めて」なんていいますが、そんなことはできません。現場(近く)にいる人には、何が正しい情報かなんて全くわからないんだと実感しました。そして、病原菌という見えない敵は、人を精神的に追い込みます。病原菌よりも恐怖のほうが速く人に伝播します。友人のお母さんも、状況をかなり重く見ていて、私たちは家の外に出てはいけないと言われました。それで丸二日間、ずっと家に籠っていました。本当は、春節の大晦日(1/24)に別の友達の家に遊びに行く予定だったのですが、地下鉄や公共バスに乗るのは危険だからということで行かないことになりました。
肺炎の流行のために、ここまで何もできないことになると、さすがに平静ではいられなくなります。普段は家に帰りたいなんて思わないのに、急に家に帰りたくなりました。ほんの一日で、コロナウイルスの感染状況は急激に悪化していて、こんなに急に状況が変わるなんて…と絶望感を抱きました。一週間後には楽しみにしていた一時帰国があるのに、もしも中国から出国できなくなったらどうしよう…。そんな不安が拭い切れず、高かったけれど、最速で帰れそうな2日後の航空券を新たに買ってしまいました。そうして、このレポートを書いてる今、日本にいます。「一時帰国が長くなると、中国語を忘れそうだから」と言って、長く滞在することを避けていた私。けれども、肺炎の件が危険だとわかってからは、それもかまっていられなくなりました。まさか自分がそんな風に感じて(一種のパニック状態ですね)一瞬で行動予定を変えてしまうとは思いもしませんでした。この短期間で、人の深層心理を見た気がしました。
さて、このように急に帰ることに決めた私のことも、友人家族は理解してくれました。「自分も海外で同じ状況にあったら、すぐに帰ると思う」と言ってくれ、心が少し軽くなりました。また翌日、大晦日の夜は車で近くにある友人の親戚の家に行きました。日本では、そのような機会に家族以外の人を入れてくれることは珍しいと思います。ですが、皆さんとても温かく受け入れてくれ、この日は華やかな春節の夕飯を楽しむことができました。
私が今まで知り合った中国の人はとにかく「热情」という言葉がぴったりの、本当に面倒見の良い方が多く、感謝してもしきれません。「そこまでしてくれて、本当にいいんですか?」と思ってしまうことがとても多いです。この縁は、留学が終わったあともずっと大切にしたいですし(まだ終わってませんが)、彼らが日本に来た時には、今度は私がホストとして大歓迎したいです。そして今はやはり、中国にいる友達の安全が心配です。一刻も早い収束を祈ります。(浙江大学 外舘祐希 2019年)