社会人で中国留学後、中国系企業への転職(1/2)

中国留学へのターニングポイントは人それぞれ。
中国留学経験者へのインタビューを通して、様々な留学体験と帰国後の進路・就職等をご紹介します。

今回は、吉田安希さんのインタビューです。

吉田さんは、社会人になってから留学し、現在は中国系企業に勤務されています。社会人での留学はどうだったのか?帰国後の仕事はどう探したのか?などに迫ります。


プロフィール

吉田 安希(よしだ あき)。 東京都出身。

学校法人に8年間勤務した後、北京対外経済貿易大学に2年間留学。
現在は、中国IT企業の日本法人に勤務。東京都日中友好協会所属。

 

 

社会人になってから中国に興味を持った

―まずは、中国と関わるきっかけについて教えてください。

私は、特に大学で中国語を専攻していたとかいうわけではないんです。大学卒業後、専門学校で働いていたんですが、その学校には留学生が結構いて、それで中国に興味を持つようになりました。最初は、中国旅行に行ったり、というところからですね。
それから職場に中国語を話せるスタッフが入って、中国語を話しているところを聞いてかっこいいなと思ったのが、中国語との出会いでした。

―では、社会人になってから、中国に興味を持たれたんですね。

はい、そうなんです。最初はほんとに語学を学ぶとかではなく、旅行に行くというかんじでしたね。上海や杭州に行きました。中華料理がおいしかったり、買い物の際に値段交渉をするのが楽しかったり。日本の丁寧すぎる接客と違って、必要最低限の相手しかしてくれないような接客など、意外性も面白かったですね。
勤務先が学校だったので、2週間などの長期の休みがとりやすく、たまたまインターネットで見つけた短期留学プログラムで2007年8月に上海に行きました。そこでさらに興味が湧いて、中国語を勉強しようと思いました。

―中国語はどのように勉強し始めたんですか?

週1回、教室に通いました。半年ほど勉強して、2008年2月から半年の予定で留学しました。

―勉強を始めてから留学までの決断が早いですね!

当時は、思い切って留学してしまったほうが早く中国語が習得できると思っていたんです。半年も留学すれば、中国語ができるようになるだろうと。

―お仕事はどうされたんですか?

退職してから行きました。中国語ができるようになれば、帰国後に次の仕事も探しやすいと思ったので。

―ご家族の反応はどうでしたか?

父は海外に行ったことがなかったので、微妙な感じでしたね。帰国後仕事をどうするつもりだと言われたり。母親は後押ししてくれました。

―留学先はどのように探しましたか?

全然知識がなかったので、エージェントを通したんですが、4つの大学からしか選べなかったんです。その中の、北京にある対外経済貿易大学に留学しました。
かなりあとになってから、いろいろな奨学金制度などを知ったので、もう少しちゃんと情報収集すればよかったなと思っています。

―中国語がほとんどできない状態での留学スタートだったと思いますが、生活面では問題はありませんでしたか?

とても困った、ということはなかったかもしれません。でも、やはりもっと勉強してから行けばよかったというのは一つの後悔ですね。日本でもっと事前にインプットをして、それをアウトプットする場として中国留学という機会を活用した方がよかったのではないか、と思っています。

最初に困ったことは、クラス分けテストですかね。面接と筆記試験があったのですが、もし面接でまったく話せない場合は有無を言わさず1番下のクラスになるんですが、たまたま面接官の言ったことが少しわかってしまって(笑)、筆記試験を受けることになってしまったんですね。でも試験が始まったこともわからないくらいのレベルだったので、これはだめだと思って白紙で出して帰ったにもかかわらず、中級クラスに配属されてしまったんです。
とりあえず授業を受けてみようとはして、聞き取れないと困ると思って一番前に座ったんですけど、自己紹介してという先生の指示もわからなくて。先生も「えっ、中級クラスに来たのにこのレベル?」みたいな雰囲気なわけですよ(笑)。いやいやこっちも「えっ」って感じだけど、っていう。

―それは困りますね。クラスは変えられたんですか?

クラスを変えてほしいと頼みに行ったんですけど、最初はとりあえず1週間そのクラスにいろと言われて。行ってもわからないので行きたくないですよね。最終的に変えてもらうことができました。

ーよかったです!寮生活はどうでしたか?

それが、最初に寮に案内されたときに、すでに住んでいる人がいたんですよ!

―えええ!?なんですかそれ!!

衝撃ですよね(笑)。中国語ができないからどういうことか聞いたり、出ていってくれと言ったりもできず、どうしようもなくて。
ホテルのツインのような2人部屋だったんですが、1人はもう退去しているはずが、ぜんぜんまだ物が残っていてベッドも汚い。明らかに出ていってないんですよ(笑)。そのスペースの物を適当にどかされて、ここで寝てくれ的なことを言われました。
次の日には、違う部屋に行ってくれと言われました。

―中国留学経験者がよく「中国にいればサバイバル力が身につく」と言いますけど、こういうことだというのがわかるエピソードですね。

そうですね、こういうことがあると、だんだん物怖じせずに人に話しかけたり意見を言ったりできるようになりますね。
私はもともと知らない人に話しかけるのは得意ではなかったんですが、同じ学校の日本人の知り合いを作っていろいろ教えてもらおうと思って、日本語が聞こえたら日本人ですかと声をかけて、買い物に一緒に行っても良いですかとか、積極的に話しかけられるようになりました。

―中国人の友人はどうやって作りましたか?

旅行中に上海の露店の女の子ととても仲良くなって、家にご飯を食べに来なよと言われて、その日のうちに行ったりしました。上海留学している時に連絡をして会ったりしましたね。
あとは、日本語を話していたら急に話しかけられるということもありました。
中国人の友人の多くは、やはり学校で知り合ったり、ルームメイトなどのつながりで知り合ったりですかね。

―社会人で留学をして、ジェネレーションギャップは感じませんでしたか?

社会人だったが仕事を辞めて来たという留学生は結構多かったです。私は29歳で行きましたが、25歳くらいの人が多かったかな。学生でもしっかりしている人はしっかりしているので、日本で学生だったとか社会人だったとかはあまり関係なかったですね。

留学先の大学選びはとても大切

―中国語の勉強のほうはどうでしたか?

それが、半年だとやっぱり思ったようにできるようにならなかったんですよね……。
私の知っている中国留学経験者は、みんなかなり話せるようになって帰ってきていたので、自分も留学さえすれば話せるようになると思ってしまっていました。中国語をなめてましたね。

それで、半年たって、やっぱり1年いようと延長して、その後もう1年いようと思って、結局2年間留学しました。
帰国後に仕事が決まっているとかではなかったので、気の済むまで延長できたかんじです。2年間はずっと北京でした。

―そうだったんですね。延長してみて語学力はどうでしたか?

自分なりに頑張ったつもりだったんですが、最終的に語学は想像していたほどは得られなかったですね。
せめて何かやったことを残したいと思って、留学の最後の半年は毎月HSK(漢語水平考試)を受けていました。大学の授業も受けずに、HSK対策の塾に行って、遊びも断っていたんです。でも今考えるとHSKの勉強は日本でもできることなので、もっと中国でしかできないことをすれば良かったと後悔しています。
最後に旧HSKの8級(初中級の最上級)を取りたいと思っていたんですが、結局6級で終わってしまいました。

―最後の半年頑張ろうとなったのは、何か気持ちの変化があったのでしょうか。

日本人や韓国人の留学生は、HSKを取ることに振り回されている感じがして受けないでいたんですが、留学して1年いかない時点で1回受けたら、思っていたよりは簡単に6級が取れたんですよね。それで、せっかく留学したんだから8級を持っていたらかっこいいかなと思ったんです。8級も簡単に取れるかと思ったら、残念ながらそうではなかったんですが。

語学力のアップというところでいうと、北京師範大学に留学していたインドネシア人が、たった3ヶ月でかなり話せるようになっていたんです。なぜかと聞いたら、口頭発表の機会が多いからということでした。同じ語学留学でも、カリキュラムなど、大学によってかなり違うのだと思いましたね。

―留学の際には、大学選びも大切ということですね。

そう思います。これも事前にもっといろいろ調べたらよかったなと思っています。


次回は帰国、就活、中国系企業で勤務するまでについてお伺いします。

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