中国留学へのターニングポイントは人それぞれ。
中国留学経験者へのインタビューを通して、様々な留学体験と帰国後の進路・就職等をご紹介します。
今回は、稲垣信さんのインタビューです。
稲垣さんは現在神奈川県日中友好協会で活動されていますが、中国への長期留学経験はありません。短期留学だけでどのように中国とのつながりを維持しているのか?などに迫ります。
プロフィール
稲垣 信(いながき しん)。神奈川県鎌倉市出身。
大学では社会学を専攻し卒業。大学時代は上海大学・同済大学で短期留学を経験。また、留学を契機に上海杉逹学院大学で日本語を学ぶ大学生と交流を深める。その後、神奈川県日中友好協会青年学生部会(チャイ華)に所属。
現在、会社員として働きながら、神奈川県日中友好協会青年学生部会長。
大学で中国語を履修してみたら、面白かった
―まず、学生時代で印象に残っていることはありますか?
小学生高学年の時に、当時は珍しかったと思いますが、オカリナ教室に通っていて、それをきっかけに吹奏楽部に入りました。ユーフォニウムという金管楽器を担当し、団体で演奏することの楽しさを感じました。中学校の吹奏楽部では副部長も経験しました。高校では硬式テニス部に所属しながら、オカリナ教室に高校卒業まで通っていました。
―中国とはどんなところで関わりがあったんですか?
小中高は中国と関わることってほとんどなくて、意識することもなかったんですよね。そもそも海外と無縁でした。大学生になって、第二外国語で中国語をとったのが最初の出会いです。
2008年当時、これから中国は発展していくぞ、というようなことを周囲の人が言っていて、それで少し興味を持って履修したという感じです。
大学に入学した当初は、新しいスタートだということで、すごくやる気があって(笑)。いろいろチャレンジしよう、どんな目標を持とうかと期待が膨らんでいました。そこへきて中国語を履修してみたら、すごく面白かったんです。日本人も漢字を使用するので、そこから推測できたりするじゃないですか。それで親近感がわきました。
―なるほど、そこまで強い意志で中国語を履修したわけではなかったけど、学んでみたら面白かったんですね。当時中国に対しては悪いイメージなどはありましたか?
大学1年の時に履修した社会学の授業で、日中関係についてレポートを書くという課題が出たんです。
2006年当時は、アメリカでの9.11同時多発テロや首相の靖国神社参拝などがメディアで多く取り上げられていて、日中関係について知ったり、学ぶ機会となりました。両国には歴史問題等に隔たりがあり、正式な謝罪とは?などについて考える機会になったんですね。中国に悪いイメージということはなく、日本の方が歩み寄っていないのではないかという漠然とした思いが当時はありました。
―そうした内容は自分で調べて考えることが大切ですよね。そういうことも感じた上で中国語を学んでみてどうでしたか?
そうですね、結論で言うと、新鮮で楽しかったんだと思います。中国語を勉強するのは面白かったですね。前期の授業の成績が良かったのも大きいかもしれませんが(笑)。
それで、自分の学校に留学制度があることはもともと知っていたので、ちょっと留学してみようかなと思うようになり、1年の時に1か月留学をしました。
―留学はどちらに?
上海大学延長路キャンパスに行きました。1年の冬に短期留学で、同じ大学の学生30人ぐらいで一緒に行くというものでした。
―それが初めての中国渡航だったんですね。実際に中国に行ってみてどうでしたか?
実は、中国というより、海外自体が生まれて初めてだったんです。
車線が違うなとか、建物の工事の際にはまだ竹を使用していて、建物が違うな、とか、いろいろな違いが目に付きました。
地下鉄の新しい路線の増設、新しい建物の建設が行われていて、中国の発展を感じたのを覚えています。バスに乗るにも一苦労で、ゆとり世代の自分はこの国で生まれていたら生きていけたのだろうかとさえ思いましたね。
あと、木の幹に塗ってある白いもの、あれが何なのかすごく気になりました(笑)。
―ああ!ありますね。防虫とか寒さ対策とか言われてるあれですね(笑)。
そうです、それです(笑)。見るものすべて新鮮で、気になってという感じでした。
―実際に行ってみて、中国語は話せましたか?
大学での中国語の成績が良かったのは、筆記の点数が良かったからというだけだったんですよね……。漢字から推測できるので、日本人は筆記で点数が取れる。発音は難しかったですね。でも、英語が本当にまったくだめだったので、それに比べれば話せるようになったかなという感じです。音楽をやっていたので、中国語の四声などは習得しやすかったのかなと思います。
先生の言葉で短期留学中は行動的に
―留学をしてみて、その後変わったことはありますか?
引率の中国語の先生が、心理学者ウィリアムズ・ジェイムズの「心が変われば行動が変わる……」という話を留学オリエンテーションの際にされていて、留学は転機になると言われたので、素直にそれを自分なりに実行しました。
他に一緒に行った日本人で、明るいタイプの人たちはグループになって観光地に行ったりしていたみたいですが、私はおとなしいほうだったのと、せっかく中国に滞在するのだから日本人とは一緒にいすぎないようにしようと思って、ほどよい距離をとっていました。
留学中に、中国人の友人をつくることを目標にしていたんですが、中国語を学ぶ授業のクラスメートはみんな中国人以外なんです。中国人の友人がつくりたかったのに、春休み中の留学プログラムだったので、中国人学生はみんな休みで大学にいなかったんですよ。
それで、どうしても友人がつくりたくて、大人の人でもいいと思って友人になってくれそうな人を探していました。いつも朝会う食堂の人と仲良くなろうと思っていたのですが、最終的に、大学の近くにある薬局に何回か通って、薬局の人に「我们交个朋友好吗?(友達になってくれませんか?)」と聞いて、少し強引に友人になってもらいました(笑)。
―初めて現地の中国人と接してみて、どうでしたか?
会いに行ったある時、筆談を交えて色々と話をしていたら、閉店の時間まで話して遅くなってしまったので、バイクで大学まで送ってくれたりして、なんてやさしいのだろうと感動しましたね。
私は日本にいたときは、あまり積極的なタイプではなかったんですけど、留学のときは不思議と積極的になれました。1か月のうち半分くらいはその薬局に通っていましたね(笑)。
行くと、「これを食べてみな」と言って麻辣烫(マーラータン)を頼んでくれたり、漢方について教えてくれたり。当時はまだ、ほとんど会話らしい会話ができなかったので、筆談でコミュニケーションをとりました。
留学の最後のほうは、上海の観光地・豫園や七浦路への観光にも付き合ってもらいました。その日は、わざわざ仕事を半日休んでくれたんです。私が日本人留学生という特別な立場だったからかもしれないですけど、一度仲良くなると本当に親身になっていろいろなことをしてくれるのが中国人なんだな、と思いました。
―ちなみに……その薬局の方は女性ですか?(笑)
女性です。4つ上ぐらいの。大学の近くのスーパーの隣にある薬局で、経営を任されていた人です。留学中は本当に人のやさしさに触れました。
―素敵なロマンスじゃないですか!
ロマンスという程でもないんですが……、手紙の交換をしましょうということになって、やりとりをしていると行きたくなるじゃないですか。会って直接話をしたくなって、留学が終わってから、2回上海に会いに行きました。
それでいろいろ調べて、どうしたら安くなるかとか、どうしたら旅行に行けるかとか。それに中国語ももっと勉強しないと、と思いました。
それで日中文通クラブというものを見つけて、参加しました。上海杉逹大学の日本語学科の学生が日本人と交流する機会がないので、交流相手になるというような企画があって。それに参加しました。
大阪から上海まで2泊3日でいける、「新鑑真号」っていう船があるんですよ。2泊3日かけて上海まで行き、1週間上海に滞在し、また2泊3日かけて大阪に戻る、計14日間の旅行企画でした。
短期留学では同じ大学生の友だちができなかったので、大学生の方と交流したいと思ったのと、薬局の方にもまた会えると思って、何回かこのような企画に参加しました。それで薬局の方ともつながり続けることができました。
―すごい、めちゃめちゃ行動力あるじゃないですか!
学生だったので時間はたくさんありましたし、どうしたら安くいけるかとかばかり考えてましたね。大学時代に中国で行ったのは上海周辺だけでした。
3年生のときに、もっとしっかり中国語を学びたいと1年間の留学を検討したのですが、金銭面や就職活動のことなどあり、断念してしまいました。
就職活動を終えた4年生の夏、桜美林大学孔子学院がやっているプログラムで、上海の同済大学に1ヶ月留学をしました。
これで中国語や中国との関係は終わりになると思っていたのですが、結局終わりにはなりませんでしたね。
―2回目の留学のときは、どんな目標で行ったのですか?
中国語の向上と思い出づくりを目標にしていたと思います。
でも、短期留学では語学のレベル向上は果たせなかったです。やはり、中国語検定2級の壁は厚かったですね。
1回目の上海大学への留学の後、中検3級には受かったんですが、そのあと2級に向けて頑張っても、筆記があともう少し、というのを繰り返していました。4年生の留学後も1度中国語検定を受けたんですが、不合格でした。社会人になってからは、月に2度中国語教室のグループレッスンを受けています。
留学生活自体は、大学生最後の中国という気持ちがあったのと、2回目の留学だったということもあり、上海でできた友人と遊んだり、土日に行事も多かったので、他の参加者とも仲を深められたという記憶があります。
次回は社会人になってからの中国とのかかわりについてお伺いします。
この続きは「短期留学のみでも中国と関わるチャンスは自分で作れる(2/2)」をご覧ください!