北京大学での留学生活の半分が過ぎ、この節目に前期の留学を振り返ろうと思う。
まず語学の観点から見れば、この留学生活はかなり有意義で中国語を用いてのコミュニケーション能力の向上は確かに感じられる。とは言ってもまだまだ拙さやもどかしさを感じる場面も多いが、コミュニケーションにおいて大事な教訓を得れたのが非常に大きい。それは「上手く伝えようとし過ぎない」こと、「楽しんで話す」ことである。留学に来て初めの頃は、「この場面に適切な単語は何かな…」とか、「この食べ物の名前は何だっけ」とか色々自分の頭の中で考え過ぎて、答えに詰まったり上手く会話を切り出せないことが今よりも多かった。もちろんそんなことばかり考えていては会話の楽しさも減るし、気がもたない。語学に気合を入れ過ぎたがあまり、「留学に来たのに、こんな表現、単語、フレーズも出てこない」というネガティヴな感情に支配されていたのである。
しかし、クラスメートや中国人の友達とのコミュニケーションを通してある程度会話に慣れてくると会話でよく使える表現であったり、よく食べる食べ物の名前なども頭に入ってきたうえ、何より周りの人が優しく楽しく話してくれたので徐々に肩の力を抜いて話すことが身についていった。今でもまだ表現や単語にこだわってしまう場面はあるが、格段に少なくなっているし、楽しんで話せるようになった。優しい友人に恵まれた私は本当に幸運だと思う。
次に、中国での生活について。当然の事ではあるのだが、この留学は中国という国への理解を深めるという点でも非常に有意義であると、様々な場面で感じた。
中でも分かりやすいのが食文化である。それぞれの地方にそれぞれの食があり、中国はそれを非常に大事にしているように見受けられた。「その土地ならでは」の食が基本的にはどの地域にも存在しており、それが人民にこよなく愛されていることが分かった。私の出身は奈良県であるが、奈良県民だからといって奈良漬けをよく食べるわけではない。というより、ほぼ食べない。しかし中国では各地方の名物はその土地の人民に愛されよく食されているという印象を強く受けた。これは私が思うに日本ではあまり見られないような光景であり、留学前の私の想像にはなかったものである。やはりこのような学びは実際に市場やスーパーマーケットに足を運んでみて初めて得られる学びであり、些細な情報でも非常に有益だと私は感じる。
日本だと「中国人」や、「中国では」などと括られて説明される事が多くそれを鵜呑みにしてしまう時もあったが、実際に現地で生活、交流し自分の目を通して見たり心で感じた経験はそのような情報よりも遥かに鮮明かつ衝撃的で、文字通りかけがえのない機会であった。このように様々な形で刺激を得た前期の留学であったが、多くの先輩方が後期以降、ある程度生活にも慣れ刺激も少なくなると教えてくださった。今までの留学レポートで反省に挙げた積極性なども忘れぬようにし、後期の留学生活をより一層充実したものにしたい。(北京大学 中津大介 2019年)