僕は、新型コロナウイルスのことがあってからも中国に残り続け、先日、7月5日に日本に帰国しました。今回の留学を総括すると、徹頭徹尾「コロナ」ということに尽きると思います。中国にいたころは、毎日の検温、寮を出入りする際の署名、外出時間の制限など、けっこう管理されていましたが、日本に戻った今では、そうした日々もなつかしく感じられます。(一般市民と比べても大学内に住む学生は特に厳格に管理されていましたが、僕の住んでいた寮では一定時間外出が許されていたので、その点ではまだ恵まれていたと思います。)時間制限があったので、遠くに出かけられるわけでもなく、判で押したように、起床→オンライン授業→学食へ外出(昼食)→勉強→学食へ外出(夕食)→勉強/自由時間→就寝 という生活を一日一日と繰り返していました。
毎日やることが同じなので、会う人も毎日、自然、同じような顔ぶれなります。寮で警備・清掃を担当しているおじさん・おばさん、来る日も来る日も飽くことなく校門のところでQRコードをスキャンするお兄さん(キャンパスの出入りには大学発行のQRコードの提示が求められていました)、笑顔でご飯をよそってくれる食堂のおばさん。結局、南京のいくつかの観光名所(中山陵など)には行けずじまいでしたが、その代わり、そうした身の回りの人たちとの触れ合いが留学中の一番の思い出になっています。いつも座りっぱなしで話し足りないせいか、警備のおじさん・お兄さんは、よく世間話や日本に関する質問をしてくれました。食堂のおばさんはいつも、僕がおかずを注文するとき、中国語で何と頼めばいいのか、教えてくれました。また、僕を見て痩せすぎだと思ったようで、毎回おかずを多めによそってくれました。最初のころ、大学の管理にアレルギー反応を示していた私ですが、そうした何気ないコミュニケーションがあったおかげで、コロナ禍の日常にも次第と慣れていくことができました。もちろん、ルームメイトをはじめ、同じ寮に住む外国人留学生との交流も心の支えになったことは、言うまでもありません。
帰国してからもう2週間ほどが経ちましたが、中国でも日本でもあまり外出できる状況にないので、生活が何か劇的に変化したわけではありません。特に、コロナの影響でオンラインの時間が増えた今では、日本にいても簡単に中国のものにアクセスできるので、不思議と日本にいることがあまり実感されません。ウィーチャットを使えば中国にいる友だちと連絡をとったり、中国の最新ニュースをチェックしたりすることができます。また、「喜馬拉雅」や「阿基米德」といったアプリを使えば、中国のラジオだって聞くこともできます。
ただ、帰国して日本を強く感じたのは、日本で中国のニュースに触れるときです。中国のこととなると、真っ先に政治的なことや米中関係ばかりが報じられていて、聴いているとちょっぴり悲しい気分になります。そうしたスケールの大きいニュースももちろん重要だとは思いますが、僕がこの1年間で体験した中国は、もっと人間くさくて、ダイナミックで、一方で最先端のものがあるかと思うともう一方で昔ながらのものも混在していて、そんな、とても一言では言い表せないような中国でした。日本のニュースが報じる中国は、本当に中国のほんの一部にすぎないですし、そうしたニュースを聴くにつれ、日本人にとって中国は「近くて遠い国」なんだなあ、と実感する次第です。
グローバル化が進んだ21世紀にあって、直接的であれ間接的であれ、今や世界中の誰もが中国と関わりをもっているといっても過言ではありません。中国の武漢から始まった今回の新型コロナウイルスが、あっという間に世界中に広がってしまったというのも、そのことをよく象徴していると思います。このような時代に、中国で1年弱生活できたというのは、非常に貴重な経験だったと思います。このような機会をくださった日中友好協会様および関係者の皆様に改めて感謝申し上げます。この経験を生かして、これから仕事をしていく中でも積極的に中国と関わっていけたらと思っています。(佐野聡 南京大学 2019年)